1999年5月の『今月の一言』について



人を「護る」って大変な事だよ。
少なくとも、その護るべき人より生きなきゃならないんだから…




「誰かを護る」っていう意味の言葉、結構使う方っていますか?

どこかに良く使う人っていますよね。

一番有名なのはゲームの中かな?

よく救い出したお姫様に向かって勇者がよくこういう事を言うんですねぇ。

「姫、私がお護りいたします。」みたいな感じで(でもちょっと使い古された常套句かな?)

でもそういうのって簡単に口にするものなのかなぁ?

だって、護るって行為は並み大抵の事じゃ成し遂げられないと思うのだけど…

だって、護るって、その時だけ護れば良いってわけじゃないでしょ?

まず、護るべき人を護りきらないといけない。

いつどこで危機が訪れるかわからないのだから、これだけでも大変。大変なのに…


よくゲームや漫画の世界では、誰かを護る為に犠牲になって死んでいく人がいる。

これも護った事になるのか、疑問だ。

だってこれからまだ危機があるかもしれないのに、そこで死んでしまっては、

護る事叶わないではないか。

だから、これは厳密には護ったといえないのではなかろうか。

それを考えると、護るには少なくとも護るべき人よりも生きなくてはならない。


さらに、さらにである

人たるもの、いずれは死ぬ。

はたして、それが護ったことになるのだろうか?

当然生きる事イコール護ったという訳ではないのは分かってる。

それでも、これが護ったといえるのか?


そう考えると、極端な話、護ることは事実上不可能なのでは?、そう思えてくる。

ただ、人の数だけの人格があるように、物事の捕らえ方も千差万別

そう考えると、「護る」というものの定義はないのかもしれない……




生憎私は、このような事を口にした事は未だかつて無い。

はたして、これからの人生の中でこの言葉を口にすることはあるのだろうか……

どっちにしろ、そうそう口にする事ではないし、軽々しく口にしてはならないものだとは思っているが。



<了>